2021年のこと

年が変わってしまったが2021年のことを書く。 歳を取るにつれて年月が過ぎ去る速度は体感的に速くなっていくとはいうものの、今年は特にその感覚が強かった。 私は一介の労働者階級に過ぎないので糊口をしのぐために平日の日中はパソコンの前で経営者の尻を舐める真似をしなくてはならない。 意識がある時間の大半を占めるこの労働という外界のコミュニケーションは基本的には平坦なのだが、今年は変化があった。 内々で開発を進めていたソフトウェアを論文にしようという動きがあったのである。

私は企業の研究開発部門で働いている。 “研究開発”とか“R&D”という単語が何を指すかは、事業への具体的なコミットを前提とした活動なのか、流行ってるからとりあえずやってみましょう的なPoC開発なのか、はたまた企業に直接貢献しないアカデミックな活動なのかは企業のスタンスに大きくよるところではある。 弊社の場合は、数年くらいのスパンで事業へのコミットすることを“仮定”した先端的な技術開発がメインである。 前提ではなく仮定といったのはほとんどのプロジェクトは成功しないし、事業系からのちゃんとした検収があるわけでもなく失敗してもうやむやになるからだ。 もちろん予算をとるために論理的な道筋はある程度建てておくものの、必ず成功するものではないよね、という感覚は上の人達も承知している。技術開発の過程で大学と共同研究をするとかで大学の研究者が書いた論文に連名で後ろのほうに名前を入れてもらうことはあるものの、社員が主体となって論文を書くことはこれまでなかった。企業では事業にコミットできそうな金が儲かりそうな応用的な技術にフォーカスしているので大学レベルのアカデミックな研究をすることは難しいし、さらに論文を書いてもその成果が人事上評価されることはないと会社的に明言されていたからだ。

我々が作っているものと同種のソフトウェアは色々な大学や企業が作っていて乱立しているものの、社会に役に立つというレベルには達していない。言わば黎明期にあり、どういう方向性が良さそうなのかも専門家の間で合意がとれていない状態である。 そういった混沌とした状況下で、我々のものは世間のものとはちょっと毛色の違った作りになっており、論文になるようなアカデミックな新規性があるであろうという暗黙の了解が徐々にチーム内で生まれていた。 しかし前述したように会社のシステム的にインセンティブがないので誰も論文にしようとはしたがらなかった、途中までは。

そのソフトウェアの開発陣に前々から会社を辞めたいと言っていた人がいたのだが、いよいよ辞めたい気分が高まってきて辞める前に成果を世の中に公開したい=論文にしたい、と言い出すようになった。論文は実名入りの技術の公開情報であり、自らの技術レベルや技術的な興味を反映しているので、退職後もその後のキャリアでアピールしやすいクリーンでポータブルな成果になるからである。特許も似たような風合いだがアイデアだけで通ってしまうので、実験を伴う論文のほうが明らかに技術者から信用されやすい。私を含め他の開発メンバーは特に反対する理由はなかった。論文にする作業は基本的に人事評価とかどうでもいい辞める予定の人がメインでやってもらって、他のメンバーは開発は開発でやっておけば人事評価はされるので被害は少ないし、なにより連名で論文の著者になれる。ローリスクハイリターンだと私は思った。しかし、この考えは甘かったということが徐々に明らかになる。

我々の分野では査読付き国際会議のフルペーパーがアカデミック的な成果として高く評価されている。これは複数人の匿名の査読者による1,2回の査読プロセスで採択が決定されるというもので、英語で8ページ前後の量が要求される。 我々はとりあえず世の中に公開したいという気持ちが先行していたので適当な、そこそこのレベルの国際会議に出せばいいかと考えていた。しかしここでマネージャーから横槍が入る。論文を書くこと自体は反対しないがトップ会議に出せというのだ。 採択率はトップレベルの会議で2,3割といったところだ。これは数か月~数年かけて世界中の研究者が真面目に色々やった成果が0 or 1で世の中に出る割合である。これに通すレベルの論文に仕上げるのはなかなかしんどい。またトップ会議は年に数件しか開かれず、辞めたい人はなるべく早くしかも採択されてから辞めたいわけなので、チャレンジするのはリスキーである。以上のようなことを言って反論したが会議レベル厨の上司は聞き耳を持たない。

初夏締め切りのトップ会議に向けて3月頃から論文を書き始めたが早速難航する。漠然とあるだろうと思っていたアカデミックな新規性というものをメンバーの誰も言語化できない。 ソフトウェアのコアな部分はメンバーのスーパーハッカー1人で開発されていて技術的な詳細を論文で説明できるレベルで他のメンバーが理解していなかったということも足枷になった。論文には文章や図がのっていないとお話にならないのでそれらを作っていくのだが、何を言っているのかよくわからないものが作成されていく。 また、コアな部分が頻繁に更新されるのでせっかく作った説明が過去のものとなり作り直しということが何度かあった。

既存手法との比較実験もしないといけないのだが、スケジュールの関係で論文として主張すべきアカデミックな貢献というものは未だ曖昧な状態で始めざるを得なかった。 とりあえず他の論文でよく使われている公開データと評価指標で実験を行うしかない。 開発で通常行う実験では適当にデータをとってグラフや図をパワポに張って終わりで、関連技術との比較は適当でいい。チームメンバーしかみないし足りない部分は口頭で説明すればいい。詳細にツッコめるほど技術に詳しくない上層部向けのプレゼンでは自分の開発した技術を推すために多少恣意的な条件で実験することもままある。 しかし論文となると専門家からみてフェアな設定で条件を可能な限りそろえて実験を行って提案手法が勝つ必要がある。もちろん既存手法のオープンソースコードを読んで理解して動かす必要がある。これはなかなかしんどい。

最もしんどいのは1)英語で2)文法的に正しく3)意味的にも正しい4)論理的な5)長文を書くことだった。 DeepLやGrammarlyを駆使して英文を推敲していくものの英文法が正しい確信がない。 さらには文法的には正しそうだが日本語訳すると意味不明な文章がたくさん紛れ込んでいる。1センテンスに関係代名詞の非制限用法が複数入っていてどこがどこを形容しているのかわからない、目的語はそれじゃない、inなのかonなのか、andの並列関係がおかしい、などなどジャップに英語は難しい。 分担して英語を書いているので章ごとに単語の使い方が違う。この単語とこの単語同じ概念を指してるから統一すべきだが図にも使われている単語だから修正するのが面倒くさいな、いやでも直さないのはおかしいだろ。 みたいな感じで桐箪笥の引き出しを押し込むと別の段の引き出しが開いてしまう、といった賽の河原の所業であった。

4月も半ばになると辞める予定の人だけでなくて他のメンバーも論文の関連作業に工数を8割がた費やすという状態になっていた。本業は全く進まない。

文章や図は埋まっていくが論理展開がおかしい。contributionとして挙げた項目を実験結果がサポートしていない。我々の手法はすごいとは言っているが、何がすごいのか、何故すごいのかよくわからない。というかトップ会議にfirst authorで通した人チームメンバーに誰もいないのにトップ会議に一発で通すとか無理じゃね?という気持ちがどんどん高まっていく。

毎日進捗ミーティングをしてあれが違うこれが違うという話をして各自に作業を割り振り、休日も必死で作業していると時間感覚もなくなった。あっという間に締め切りの直前になっていた。締め切りの24時間前くらいにはまだ一部の図は仕上がっていないが、ほぼほぼ出来上がったということになり、論文に関わってない人にプルーフリーディングをしてもらう体制に入った。その指摘事項に対する修正をマージして全ての図がそろった時点で締め切り12時間前くらいだったと思う。あとは全員で論文の文章を一文一文読んで細かい部分を直していく。緊急事態宣言中ではあったが主要なメンバーはオフィスに集まっていた。白人様に都合のいい締め切り時刻は日本時間の早朝である。日付が変わってから数式の致命的なミスが発覚し絶叫しながら慌てて直した。丑三つ時にPDFを提出して、その日は始発で帰った。青春をしている感覚があった。

査読結果がくるまで少し間が空いた。これでやっと本業のほうを進められるのだが、年初に建てた開発計画からは当然のように大分遅れていた。しかも頭が論文モードになっていたので容易には切り替わらない。だらだらやっていると進捗がほぼないまますぐ時間が経って、当然のように不採択つまりrejectの通知がきた。所謂"We regret to inform you…"的なやつである。複数人の査読者のコメントは全く適切で三者三様に同じことを言っており、なんだかすごそうだけど論文の体を成していない、というレスポンスであった。その通りだと思います。”This paper is clearly below the level of this conference”みたいなコメントもあり、それもその通りなのだが、まあ、傷つきました。

さて、落ちてしまったものはしょうがないので、次どうするか、今度こそレベル下げた国際会議に出すかという話で内輪で合意していたところ、やはり上司から横槍が入りまた次の締め切りのトップ会議に出すことになってしまう。 一度落ちたことには価値があって、どういう方向性で論文を修正すれば査読者に納得してくれそうかという道筋はついていた。 トップ会議に通るかどうかはわからんが、論文っぽくはなっていくだろうみたいな感覚である。 しかし大幅な書き直しが必要なのでマンパワーが必要である。 方向性が明確になったしやるぞ~~という気持ちになっていたところ、メインの作業者だった辞めたい人がもう無理ッスもう辞めるッスということになってしまった。 いやお前が論文書きたいって言ってたんじゃんもうちょい作業をしてくれよと思ったが人間の退職したい気持ちは止まらないのである。 さらに諸々の理由でそれ以外のメンバーも論文作業から離脱してしまう。 しょうがないので私を含む残ったメンバーで論文作業をするしかなくなる。

今年の前半は全然本業を疎かにしていたので後半は論文など書いている場合ではなく本業をやらないと人事評価がやばいと思っていたのだが、結果的に後半もほとんどを論文作業に費やすことになってしまった。 そもそも私は当初は論文を書くことに対してそこまで積極的ではなかったのだが、既に死ぬほど労力を費やしてしまったのでもう後戻りはできないと怒張した昂りマシーンになっていた。 妄執ってやつですかね。

それから一瞬で月日が流れ、色々書き直して再度年末に国際会議に提出して結果待ちという状態になっている。 本業のほうもなんとかごまかして年末までに成果のようなものを錬成する必要があり最後の最後まで忙しく、全くまったりした年末という気持ちになれなかった。 論文作業は通常の開発よりはるかに頭を使うので時間の経過が異様に速く感じる。 私自身の英語力論理力のなさに起因するのだが数パラグラフいじるだけで1日が終わってしまうこともある。 というわけで今年は論文を書いていたら浦島太郎状態になってしまったという話であった。 ここ数年負荷らしい負荷を人生にかけずに過ごしていたが、新しい種類の負荷がかかってよかったかもしれない。 私は過去の苦痛を美談にしがちなところがある。

以上の論文執筆に関する記述でごっそり省いていたことがあって、それは職場の人間関係の崩壊である。 めちゃくちゃオブラートに包んで言うと執筆陣の中の一人とその他が対立したのである。 辞めたかった人が論文が通ってから辞めるという当初の予定より早く辞めてしまったのも一環である。 社会人になってからここまでやばい状態になったのは始めてだ。 直属の上司だけでなくもっと上の人間も仲裁に巻き込むことになってしまってエンターテイメント感があった。 これは全然美談ではないし今後はこういう事態は避けたいが避けがたい気もする。

中古マンションを買って1年が経った。 買ってからも中古マンション市場は値上がりを続けており、今売れば手数料を引いても数百万は儲かりそうである。 さすがにまだ飽きていないし住み替えるにしても相場が高すぎるので、5年くらいは住みたい。 独り暮らしにしては広い家の中はとても快適で休日に家から出ない割合が多くなった。 横になれるサイズのソファを家におきたい気持ちが昔からありそれをやっと叶えたのだが、とてもよい。 飲酒時などはおおむねそのソファの上にいる。 4Kディスプレイを二つ並べたパソコン机も快適だ。 カフェで作業しようという気にはなれなくなった。 蒲田のルノアールで作業していた頃が懐かしい。 この自己変容もある種の喪失なのかもしれん。 今年も在宅勤務期間があったが、いくら家の中が快適でも在宅勤務は性格的に無理ということもわかった。 通勤時間考慮してもオフィスにいったほうが仕事の効率がいい。

もし論文が通れば今の会社で漠然とやりたいと考えていたことはほとんど成してしまったことになる。 とりあえず論文を通したい。 思ったより早く昇進しており、今年も社内の人事的なレベルが上がった。 しかし年収的にはここ数年平行線である。 次のレベルでは所謂課長レベルになるが、上がるには5年くらいはかかりそうだ。 というか3年後に今の会社が存続しているかはよくわからない。 自分の人生の労働として何を成すのが“アイカツ”なのか最近よく考える。 今のR&D労働はイケてるイケてないでいうとあまりイケてない。 最先端技術に触れている気がするが論文読んでる素人という域を出ておらず、実際に手を動かしている本業は古臭い技術ばかりである。 だから論文執筆にも興味があったのだが、今回通ったとしても頓服薬のようなもので根本的な解決にはならない。 日本だと自分の専門性を生かせる会社というは片手で数えられるくらいしか知らない。他の会社は技術レベルはともかく会社としてやってる事業にそこまで気持ちが動かないということもあるし、今の会社は給料も高いし、積極的に転職する理由がない。

次のステップとしてちょっと専門性をずらしてでもベンチャーにいってみるというプランもあり色々検討していたがやはりピンとこなかった。 小さい組織になればなるほど、自分の思い通りにならないとムカつきそうだなということがわかった。 そこで自分の考えた最強のアイデアでビジネスコンテストなるものにエントリーしてみたが、3次審査までいって落ちた。 そのビジネスコンテストでは2次審査くらいまでが日本語が書けていれば通るという印象で、3次審査からは厳しくなりそうだなと思っていたが、予想通りここで落ちた。 アイデアを洗練させるか、すでにトラクションがあるか、このどちらかがないとビジコンも厳しそうだ。

ビジコンでは年末までに個人でウェブアプリを作って公開という目標を掲げていて、ビジコンに落ちる受かるに関わらずそのつもりだったが結局できていない。 今年の後半は徐々に現地ライブも再開しつつあり休日がつぶれることも多かった、論文執筆が忙しすぎてできなかったと自分に言い訳しているが、実際のところは気持ちが乗らなかったというのが大きい。 地元の唯一のまだ連絡とってる友人は地元で飲食店を経営してブイブイいわせているらしい、2022年内には店舗を増やすとか。 私もその人に負けないように気持ちを乗せてプライベートで人生の仕込みをやっていきたい。 私は“アイカツ”をしなければならない。

過去を振り返ると私のガチ恋は3年周期で振動している。 1年目でガチ恋全開になり、2年目で全てを喪い、3年目は空っぽで過ごすというサイクルである。 2021年はその3年目だった。 労働が忙しかったということもあるが相対的にはあまりガチ恋のことを考えていなかった。 だが週に2回くらいは直近ガチ恋対象を思い出し切なくなった。 全く今後は不透明だが年末に新たなガチ恋の胎動を感じた。 2022年はガチ恋を育て、そして燃やしていきたい。

天気の子を観た

 天気の子を観た。

 ツイッター上で好意的な感想ばかりでそれが好きなアカウントと嫌いなアカウントの両方から流れてきたので、期待半分冗談半分で観に行ったところあまりにも良すぎて絶句してしまった。なぜこんなに良いと感じたのか、文章にして自分の思考や感情を整理したいのでこれを書いている。

 この作品は新海誠作品かつセカイ系でありながら主人公は内省的すぎず、彼とメインヒロインは何も「喪失」していない。セカイ系でありながら何も喪わない未来があるという構成が新鮮で私自身の苦悩に刺さったのだ。

 新海誠作品とセカイ系の共通の特徴として「喪失」がある。ここでいう「喪失」とは、主人公が愛しい人との別離、記憶喪失、死などを経験することである。そして「喪失」の責任は常に無力な主人公自身にあり内省し続ける。

 新海誠作品の例を挙げると、ほしのこえのノボルはミカコのメールを受け取っても彼女のために直接的な行動を起こすことなく自分の中で咀嚼する。秒速5センチメートルの貴樹くんは自意識の権化であり様々な可能性の芽を自分自身で潰しながら成人しても過去に囚われ続けている。

 そしてその他のセカイ系作品においても「喪失」は物語の結末に付随する。最終兵器彼女シュウジはちせが人間でなくなっていく過程を見守ることしかできず、ちせは人間としての肉体を失い抱き合うことはできなくなってしまう。Fate/stay nightでは衛宮士郎の魔術回路が貧弱であるが故に戦略が狭まってしまいヒロインを全員生き残らせることはできない。

 このように主人公が無力であるが故に「喪失」することは新海誠作品とセカイ系の両方に見られる特徴である。作品のトーンあるいは結末は暗い。ファンは「喪失」とそれを引き起こす前後の主人公の無力と内省に自分の人生を投影し甘美な自己陶酔に浸るのだ。もちろん私も。新海誠作品の過剰ともいえる内省ポエムはファンの心をとらえて離さない。

 このような作品を期待していた人々にとって君の名は。は衝撃的であった。新海誠作品でありセカイ系でもあるのに主人公が大きな失敗をしないし内省的でないのだ。思春期で女体に興味を示すわかりやすい少年である滝くんが、三葉を想いの力で助けるという表面的にみるとまるで週刊少年漫画雑誌のような「明るい」展開。しかし物語の構造はセカイ系の文法に則っており「喪失」は息づいている。二人の再会が示唆されるものの詳細な記憶は喪われている。

  天気の子は君の名は。以降の系譜にある「明るい」新海誠作品である。ただし君の名は。は大衆向け作品を新海誠テイストに味付けしたものであるのに対し、天気の子はトラディショナルな新海誠からスタートして大衆向けに寄せていった雰囲気がある。東京に生きる人間の視点からみえる東京、特に猥雑な部分、の執拗な描写は新海誠っぽいし東京で生活しはじめた帆高の心情の質感をリアルに感じられた。しかし大衆向けとしては過剰かもしれない。過去作キャラの出演やその他オタクが喜びそうな小ネタの数々(カナ&アヤネ、キュアブラックとか)もよかった。キャラクター間の近すぎない距離感が心地よく違和感なく関係性を感じることができた。警察からの逃避行からラブホに泊まって枕投げしてそして……という一連の流れに物凄いカタルシスがあり紛れもなくセカイ系だった。その他いろいろ面白いシーンは多々あった気がするが言及したいのはそこではなく結末について。

 帆高が陽菜を助けたことによって、東京の気候変動は継続し一部の都市機能を失ってしまう。しかしこの変化によって大量の死傷者が出たという描写はない。既存のセカイ系作品がキミとその他大勢の命を秤にかけていたことからするとなんと幸福なのだろう。しかもこれは大きな世界の変化であって2人が生きる小さなセカイは何も侵害されていない。2人は関係も肉体も記憶も何も喪われていないのだ!2人は何も「喪失」することなく幸せに美しく生きるのだ!

 私はゼロ年代セカイ系によって自我の第一段階を与えられた。ド田舎のゲオで立ち読みした最終兵器彼女でセカイの仕組みを理解した。それからずっと過去の記憶にすがることや内省的であることが美しい挙動だと思っているしそうしてきた。

 あれから15年が経ち、私はもう疲れてきた。「喪失」をこころのガラスケースに飾って眺めていても私は幸せになれなかった。「喪失」鑑賞は学習意欲を奪い思考を凝り固まらせていく。だから人間的な魅力が失われ新しく他人を惹きつけることができず孤独のままますます過去に縋っていくことになる。これから人並みに老人になるまで死ねずに生きて生活してずっと孤独でいることが怖い。

 そんな折に「喪失」することなくしかも自分の美学を損なうことなく美しく生きる可能性が示されたことは救いであった。

 

 もう私は何も喪いたくないし今より先をみて生きたい。

 そしてしあわせになりたい。